いじめられてる君へ [小学校]
私のfacebookの愛読ページ。 ”今日は本を読もう。” に、素敵な記事がupされていました。
永遠のテーマでもあるいじめについて。
========== 広い海へ出てみよう =============
東京海洋大客員助教授・さかなクン ↓さかなクンの記事です。
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
================= (朝日新聞2006年12月2日掲載) ====
2006年の記事なんですね~。何年経っても、イジメという問題は消え去ることはないのでしょうか。
私は小学生の頃、よく学校の先生と同級生とで、魚釣りへ行っていました。
海が身近だったこともあり、竿と餌を持って、仕掛けもすぐ覚え、小さなカサゴが釣れると、「この子はまだ小さいから海へ戻してあげよう」と、生命についても遊びを通じて学べていたようです。
大きな海へ向けて竿を思いっきり振り上げたり、堤防に座って竿の一点を見つめる・・。
キラキラした海面に、魚の姿が見えると飛び込んで掴みたくなる衝動を抑えながら、竿がググッと揺れる瞬間を楽しむ。
そんな時間が、今になっても脳裏に焼き付いていて、小学校の思い出と言えば友達と並んで魚釣りをしたこと、先生が餌の付けかたを教えてくれたこと。
振り返ると、良い環境で幼少時代を過ごしていたなぁと思います。
このさかなクンの記事を読んで、そうそう、友達と会話はなくても、横に並び糸を垂らしているだけで日常を忘れ、無の時間が癒しになったし、一緒に釣りをした子とはいつも色んな事をして過ごしてたなぁ・・。と昔を思い出しました。
そして今・・、いつからか、息子は、夜寝る前になると自分の心の内を私に話すようになりました。
先日、「僕、鬼ごっこの時に仲間外れにされたんだよ。」と、私に言いました。
「そう、何か原因があるんじゃないの?」
「仲間に入れない。って言われた時、どう思った?」と聞くと、「嫌だったし、さみしかった。」
「そうだよね、だったら、あなたもそれを友達にしてはダメだよね。」
「うん・・。」
「自分がされて嫌なことは友達にもしないほうがいいよね。」
と、こんな会話を続けていくうちに、自分で解決する方法、友達との関係、人との関わりの中で人を思いやる気持ちに気付き、学んでくれればと思います。
息子は、自分のやりたいこと、思いを突き通すところがあるので、友達に譲る気持ち、感情を抑えるという衝動的な感情のバランスがまだ不安定だと感じていたので、きっとそんなところから、友達とも衝突することがあるのでしょう。
ここは、超低体重児の子にとって、大きな壁でもあり、地道な訓練が必要とされる部分かもしれません。
そんなやりとりの中、このさかなクンの記事で、ふっと私の幼少時代も思い出し、魚釣りっていいな、とつくづく感じシェアさせて頂きました。
まだ息子は海釣りの経験はないので、この夏、初の魚釣り体験をさせてみたくなりました。
永遠のテーマでもあるいじめについて。
========== 広い海へ出てみよう =============
東京海洋大客員助教授・さかなクン ↓さかなクンの記事です。
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
================= (朝日新聞2006年12月2日掲載) ====
2006年の記事なんですね~。何年経っても、イジメという問題は消え去ることはないのでしょうか。
私は小学生の頃、よく学校の先生と同級生とで、魚釣りへ行っていました。
海が身近だったこともあり、竿と餌を持って、仕掛けもすぐ覚え、小さなカサゴが釣れると、「この子はまだ小さいから海へ戻してあげよう」と、生命についても遊びを通じて学べていたようです。
大きな海へ向けて竿を思いっきり振り上げたり、堤防に座って竿の一点を見つめる・・。
キラキラした海面に、魚の姿が見えると飛び込んで掴みたくなる衝動を抑えながら、竿がググッと揺れる瞬間を楽しむ。
そんな時間が、今になっても脳裏に焼き付いていて、小学校の思い出と言えば友達と並んで魚釣りをしたこと、先生が餌の付けかたを教えてくれたこと。
振り返ると、良い環境で幼少時代を過ごしていたなぁと思います。
このさかなクンの記事を読んで、そうそう、友達と会話はなくても、横に並び糸を垂らしているだけで日常を忘れ、無の時間が癒しになったし、一緒に釣りをした子とはいつも色んな事をして過ごしてたなぁ・・。と昔を思い出しました。
そして今・・、いつからか、息子は、夜寝る前になると自分の心の内を私に話すようになりました。
先日、「僕、鬼ごっこの時に仲間外れにされたんだよ。」と、私に言いました。
「そう、何か原因があるんじゃないの?」
「仲間に入れない。って言われた時、どう思った?」と聞くと、「嫌だったし、さみしかった。」
「そうだよね、だったら、あなたもそれを友達にしてはダメだよね。」
「うん・・。」
「自分がされて嫌なことは友達にもしないほうがいいよね。」
と、こんな会話を続けていくうちに、自分で解決する方法、友達との関係、人との関わりの中で人を思いやる気持ちに気付き、学んでくれればと思います。
息子は、自分のやりたいこと、思いを突き通すところがあるので、友達に譲る気持ち、感情を抑えるという衝動的な感情のバランスがまだ不安定だと感じていたので、きっとそんなところから、友達とも衝突することがあるのでしょう。
ここは、超低体重児の子にとって、大きな壁でもあり、地道な訓練が必要とされる部分かもしれません。
そんなやりとりの中、このさかなクンの記事で、ふっと私の幼少時代も思い出し、魚釣りっていいな、とつくづく感じシェアさせて頂きました。
まだ息子は海釣りの経験はないので、この夏、初の魚釣り体験をさせてみたくなりました。